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ゲームクリエイター入門編【第4話】家庭用ゲーム機の台頭

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日本の家庭用ゲーム(コンシューマーゲーム)機の歴史を切り開いたのは任天堂でした。その任天堂が1983年に発売したファミリーコンピュータ(ファミコン)は、空前の大ヒットを記録。当時の少年たちにとって、そしてゲーム史にとって革命的な出来事でした。ここでは、家庭用ゲーム機の誕生から、どのようなハードに進化していったのかをご紹介します。

家庭用ゲーム機の代名詞「ファミコン」(任天堂)

先述したように、ゲーム史を塗り替えるほど大きな影響を与えたファミコンですが、その一番の意義は、「ゲームセンターなど、外でしかできなかったゲーム」を、「家庭でできるようにした」という点です。

ファミコンの名作とされるゲーム

ファミコンの名作ゲームには、「マリオブラザーズ」「ドンキーコング」「ドンキhーコング JR.」「アイスクライマー」(以上、任天堂)、「スパルタンX」(アイレム)、「パックランド」(ナムコ)などがありますが、これらはもともとアーケード版(ゲームセンター用)のゲームでした。任天堂などのゲームメーカーが、それらを次々とファミコンに「移植」していくことで、「家庭用ゲーム」というジャンルが誕生したのです。

ファミコンの対抗馬「PCエンジン」(ハドソン)

そんなファミコンの独走態勢に対抗したのが、1987年にハドソンがNECと共同開発した「PCエンジン」でした。ハドソンはファミコン用ソフトを次々と発売していましたが、独自の家庭用ゲーム機を出す戦略を打ち出したのです。ハドソンの社員だった通称「高橋名人」が、16連射などの技を持つ伝説のゲーマーとして、当時の少年たちの人気を集めます。高橋名人が主人公のゲーム「高橋名人の冒険島」や、加藤茶や志村けんが出演していた人気テレビ番組が元になったゲーム「カトちゃんケンちゃん」などがヒットしました。さらに、CD-ROM2(シーディーロムロム)などの周辺機器を発売することで、PCエンジンのバージョンアップを図りました。

「メガドライブ」(セガ)の登場

1988年には、セガから「メガドライブ」が発売されます。大衆的なファミコンやPCエンジンとは対照的な、ややコアなゲームファンがメガドライブを支持しました。白がベースのファミコンやPCエンジンとは異なり、本体の色が黒だったという点も、昔からのセガファンの満足度の高さにつながったようです。

「スーパーファミコン」(任天堂)が巻き返す

巻き返しを図るべく、任天堂は1990年に「スーパーファミコン」(略してスーファミ)を発売します。スーファミ、PCエンジン、メガドライブ、これら三つ巴の戦いは、任天堂が競り勝ったというところでしょう。「スーパーマリオ」シリーズや「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」など、スーファミでもたくさんのヒット作が生まれました。ここでは、1990年代の対戦格闘ゲームブームの火付け役となった「ストリートファイターII」(カプコン)の名を挙げるにとどめておきましょう。

任天堂の天下を揺るがす「PlayStation」(ソニー・コンピュータエンタテインメント)登場

そんな任天堂の天下を揺るがしたのが、1994年にソニー・コンピュータエンタテインメント(以下SCE)から発売された「PlayStation」(略して「プレステ」または「PS」)です。
PSは、スーファミを市場規模で逆転し、のちに次々とシリーズ化される「バイオハザード」(カプコン)などのヒット作が生まれるに至りました。

「NINTENDO64」vs「PS2」「PS3」

1996年、任天堂はスーファミの後継機として「NINTENDO64」(略してロクヨン)を発売します。当初は「ウルトラファミコン」ともよばれていました。3Dポリゴンの描画性能に特化した「スーパーマリオ64」「ゼルダの伝説 時のオカリナ」などがヒットします。一方のSCEは、2000年に「PlayStation 2」(略してPS2)を発売します。

PlayStation 2の画期的な機能

今までのゲーム機は、過去のゲーム機との互換性がないのが常識でした(たとえば64のソフトはスーファミやファミコンではプレイできません)が、PS2はPSのソフトがそのまま使えた点が画期的でした。その後、任天堂は2001年に新たなゲーム機「ゲームキューブ」を発売しますが、両者の戦いはソニーに軍配が上がったと見るのが自然でしょう。さらに、ソニーは2006年に「PlayStation 3」を発売。PS2では複雑だったインターネットへの接続を簡単にするなどの改善を図りました。

高橋名人の「ゲームは1日1時間」の本当の意味

ファミコンが発売された当初、子どもたちがあまりにも夢中になるので、当時の大人たちからは「ゲームをやりすぎるとバカになる」といった意見が出ました。ファミコン全盛期にカリスマ的なゲーマーとして一世を風靡した高橋名人は「ゲームは1日1時間」という名言を残しています。いろいろと誤解されている言葉のようですが、「勉強でも何でもやりすぎは良くない。ゲームだけに夢中にならず、いろいろなことを経験しよう」というのが、高橋名人の真意だといわれています。ゲーム好きだからこそ、ゲーム「だけ」に陥るなという、名人の言葉は、21世紀のゲーム好きたちの心にも響いてきますね。これはゲームを作る際にも同じことが言えます。ゲーム「だけ」に陥らず、幅広いものから学んでゲーム作りに生かしていきましょう。

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