さいとうなおき先生インタビュー

パンフレットの表紙イラストをさいとうなおき先生に
描いていただきました!

大切にしているのは、見たときに理屈とか以前に、テンションが上がるかどうか、嬉しくなるかどうか

ご依頼を請けた時のご感想とヒューマンアカデミーのイメージを教えてください。

本当にたまたまです。妻が、ヒューマンアカデミーの動画講座を受講していて、そのイメージが強かったです。これも何かの縁だなと思いました。

イラストの方向性や構図などは、すぐに決まりましたか?

進め方として2つの方法をずっと模索していました。ひとつはもう本当に全然違う構図パターンを三つぐらいだすっていうやり方。ふたつめは、ある程度決め打ちではもうこれだったら絶対行くやり方です。

前者の3パターン出す方がクライアント的にも納得がいくだろうし、その方が良いと思っています。ただ、3つのパターン出すは、僕の熱量的にも分散するところがあって、後者の決め打ちパターンが、最終的に満足いくものができる進め方だと、ここ2年ぐらい思っています。

それで言うと今回は、ラフを描いている時に、めちゃめちゃいい構図がぱっと出てきたので「じゃあこれで行こう」と構図自体はすぐに決まった気がします。

先生のお写真も同じポーズをしているんですか?

そうなんですよ。今まで一人でやってた(ポーズをとる)ってのは結構あったんですが、二人でやるっていうのが共同作業の象徴みたいな感じで。もうこれしかないなって......。

色味的な部分で言うと、あまり悩まずに決められたって感じでしょうか?

色に関しては若干迷いました。何か違った個性の象徴として描きたかったので、青と赤というのは決まっていたのですが、全く違う色味を50:50で配置するのって意外と難しくて。

最初はグレーや白の方がいいかなと思いましたが、あまりテンションが上がらなくて......。最終的にテンションが上がる元気な色、黄色が一番ワクワクする色だなってことで黄色にしました。

何か楽しそう、というのはとても感じました。

ただ今、言ってる話していること事って、後付なんですよね。
大切にしているのは、見たときに理屈とかの以前に、テンションが上がるかどうか、嬉しくなるかどうか。それを追求した結果、後から考えると今みたいな理由なんじゃないのかなと思います。

キャラ設定も先に決めるのではなくて、後付って言ったら変ですけど、感覚的な部分があるということでしょうか?

そうですね。イラストってパズルみたいなものだなって思っています。先に用意したピースが上手くハマるかは描いてみないと分かんないところがあります。描いてみたら「理屈では絶対にはまるはずだよね」って腑に落ちていても、何か描いてみると「あれ?」ってことが結構あるんですよ。

テンション上がんないなぁって。でも理屈的には合っているからそのままいくかって、やっちゃうと最後まで微妙な感じになっちゃう。

最初はなるべくそういうきめつけはあまりしないようにはしています。
確信のままそのまま行くこともあるんですけど。

「これでいいよね」って自分を信じなきゃいけない部分もあるし、多くの人と感覚がズレないようにしないといけない部分もあるということでしょうか?

これは結構難しくて、マスに当てようとするとマスに当たらない問題が結構あります。
毒にも薬にもならないようなものですね。結果、「はい、置きに来たな」っていうイラストにしかならなくて......。

幾度となくイラストを描いて、人に見せているので、外れるところはある程度知っていると思うんですよ。
ここに打っても絶対外れるみたいな。

絶対に当たるだろうなっていう気持ちで人に見せて、全然当たんなかったとか、あたったとか。
そういうのを繰り返していく中で、この感覚は打率何パーセントぐらいというのはなんとなく持っています。

当てに行くのは多分マスじゃなくて自分に当てにいくのだと思うんですよね。
なので、自分の心が動いたところで最終的には判断しちゃっていますね。

クオリティラインがすごく上がった意識があります。

イラストレーターになろうと思ったのは、いつごろでしょうか?

小学校~中学1年生ぐらいまでずっと漠然としていました。ぼんやりと、絵の仕事をしたいなと。
絵の道に進むには美大っていう道があるらしいみたいな。

最初はマンガ家を目指していたのですが、マンガ描いてみたら全然描けなくて1ページ目で毎回頓挫していました。
冒頭はどうやって描き始めたらいいんだろうみたいな。(笑)

ずっと悶々としていました。

中学2年生の時に、テレビ番組で『ストリートファイターⅡ』のグラフィックなどを担当していた、あきまん先生を見て、衝撃を受けました。

会社内でTシャツ姿で働き、しかも尊敬されて、お金をもらえる人。素晴らしいイラストを描けてかけて、大勢の人たちにわくわくも与えてくれます。「なんてすごい人なんだ」って思い、まさにこの人のようになりたいと決心しました。
その日をきっかけにそイラストレーターなる目標がカチッと自分の中でできました。

目標ができて、次に、これで本当に食っていくって覚悟ができたタイミングはありましたか?

生意気な話ですけど、もうその時点で、思い込みが激しいので、なった気になっているんですよね。
プロたる俺みたいな感じで。(笑)

高校では、部活にも入らず、プロたる自分を実現していくために、最初は機材を集めていく、そういう行動をとっていました。

プロって意味で言うとどのタイミングからでしょうか?

19歳の時にカードゲームの仕事をはじめて請けたので、そこからだと思います

プロになる前とあとで、考え方や意識の部分で変わった点はありますでしょうか?

めちゃめちゃあります。お金をもらうのもそうですが、クオリティラインが、すごく上がったっていう意識もありますね。

それまでも作品をネットにあげて、人に見せてる意識はあったので、客観的な視点があった気でいたんですよ。

ただ、初めて商品として店頭に並んだイラストを自分で見た時にめちゃめちゃ恥ずかしくて。
「何でこんな中途半端な状態で俺は出してしまったんだろう」ってすごい後悔をしたんですよ。
プロにあるまじき態度なんですけど、「無料でいいので直させてください」みたいなことを言った記憶があります。

イラストを描いたら一回を寝かせようっていうことでしょうか?

そのころは一回イラストを寝かせるのが大事とか、そこまで言語化出来ていたわけではないですが、単純にもっと上の一生懸命さがあったっていうか、今まで50で出していたのを、100出さないと通用しない世界だっていう風にまざまざと実感しました。

プロになってからは順調でしたか?それとも色々考えなきゃいけない時期もありましたでしょうか?

最初にすごく考えたのが会社を辞めた時期です。
学生の頃は、世の中に響いた感覚があったんですよ。仕事もしていたし、ホームページ運営していました。

時が過ぎてpixivが浸透してきたのですが、会社員の頃は横目で見ていたんです。

でも、会社を辞めたら、pixivで活躍できていない人は歯牙にもかけられない感じの空気感になっていて、「さいとうなおきって誰?」みたいな感じになっていました。そこで色々考えさせられました。

イケるっていう感覚でフリーになってみると全然違うぞ、という感じでしょうか?

クライアントから仕事はもらえていて、あまり不安になることはなかったんですけど、それとは別に、何でこの仕事しているのか?と思うようなりました。
食うためじゃなくて、僕はあきまん先生に抱いていた「僕もその立ち位置になりたい」っていうのところが一番目指したい感覚だったですよね。

でもなれていない。このまま行っても全然なれないだろうなって肌感覚で分かって色々悩んでいました。

イラストレーターっていう職業に突っ込んでいく。その原動力みたいなところですね。

そうですね。だから僕が好きな漫画『メイドインアビス』で言うと二層目ぐらいで、ちょこちょこやってれば探索者として生きていくってことはできると思うんですよ。

4層5層とかになってくると戻れないけど、でも憧れみたいなのは手に入るわけですよね。

「そこに突っ込んでいけてないな」っていう自分に対して、すごい不甲斐なさを感じていた時期だったと思います。

今はどうですか?

やっと4層、5層のあたりまでこれたなって感じでいるんですけど、まだその先があるんだなって。

まだ白笛は手に入れてないぞ、黒笛くらいだぞっていう。

そうですね。ラストダイブしなきゃなって感じですね。(笑)

何で判断するかは、どういう自分になりたいかだと思います。

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すごくない自分を認めるっていうのも1年目の経験からでしょうか?

当時、マンガ家を目指していた時期がありました。ですが、持ち込みのオリジナル漫画がずっとボツにされて、最終的には佳作ぐらいまでしか取れなくて......。
自分の力作が世の中にも出ないという事実に、「俺は持っていない」と思うようになりました。

それまではふんわりあった「万能感」みたいなのが粉々に打ち砕かれて、「俺は持っていない」っていう前提で一から学び直すしかないなと感じたんですよね。

この道を目指す人って、その「万能感」を持ってないとこの道を選べないと思います。

皆同じ経験をするんじゃないかなと。

難しいですよね。
僕も確かに持っていたんですよ。だからここに来たのですが、やっぱり「持ってなかった」っていうことに途中で気づいて、切り替えたっていうところはありました。

切り替えできたという点では、「持っているんだ」と思っていいのかもしれないですけどね。

プロの世界は、例えば、野球だとホームランバッターじゃないけども守備が上手いとか、やり方はいろいろありますが。

スポーツだと結果がちゃんと出るので自己判断しやすいというのはあると思います。
イラストなど芸術分野は、良し悪しが時代によって左右されたり、見る人によって左右されたりするので、判断が難しいんですよね。

では、何で自己判断するのかっていうと、どういう自分になりたいかっていうところでしかないと思います。

例えばゴッホみたいに僕はなりたくなかったんですよ。

100年後、200年後にもしかしたら誰かに認められる可能性があるけどそれでは遅い。今認められる要素みたいのを獲得したいときにどういう手段を取るか?って、判断をしたと思います。

そういう切り替えの中で、先生の今の作風はいつ頃確立されたのでしょうか?

セピア調のイラストを描いたり、線画をメインにしたイラストを描いたりと、色々試していました。

今の作風は、ここ数年で確立してきました。昨今は、ビビッドな色使いを特徴としたクリエイターさんが人気を博しているという分析と、実際に、自分で確かに良いなと思ってる部分が合致した感じがあり、いまの作風になっています。

作風は個性だと思うのですが、個性については、どのようにお考えでしょうか?

消そうと思っても消えないものだと思っています。

描けども描けども「やっぱりこうなっちゃったなー」っていうところがあるんですよ。(笑)
変えたいって思ってるんだけどでも、「あー、また俺こうなってる」みたいなところが結構あるんですよね。

例えば女の子の口の開け方とかって、最初閉じたりとか、歯だけ見せたりとかするのですが、その絵を見たときに、テンションあげたいとか、ワクワクしたいとか、元気にさせたいとか、思うと、「やっぱり口開けてた方がいい」という判断になります(笑)

「どういう気持ちにさせたいのか?」みたいなところから、にじみ出てくる形がもしかしたら個性なのかもしれないです。

イラストの「個性がなくて悩んでます」っていう質問はよくあります。

むしろ大事なのはそこじゃないと言うか、イラストを見てどういう気持ちになれるかどうかが大事だと思っています。

その効果を最大にしようと思えば勝手に個性って出てくるかなと。

ある命題に対して、Aさん Bさん Cさんがいたとして、個々の能力値が異なれば、命題を実現するためのアプローチも変わってくる。

命題を実現するときに、ひねり出した一手が、個性なんじゃないかと僕は思っています。

イラストって無力なんだよねっていう話をしてるんですけど、やっぱり信じたい自分がいるんです。

誰が描いたかっていうのが、同じイラストだとしても重要というお話をされていましたが。

イラストレーターとしてこういうことを言うのもどうかなと思うのですが、価値のありどころとして、僕が現時点で、嵐の松本潤くんが描いた線以上の価値を生み出せる気がしないんです。

僕が描いたイラストよりも価値と言うか、値段は高くなると思うんですよ。

突き詰めると、誰が描いたかが重要だと思っています。どんな絵柄かは、二の次というのが基本的にあって、そこから出発しないと見誤るんじゃないのかなと。

技術+αの部分がないと価値が上がっていかないっていうことでしょうか?

どういうストーリーを作れたかって言うところになるんじゃないですかね。

例えば僕のイラストでいうと、今価値が上がってきたのって、YouTubeで発信してからだと思います。イラストを描く人たちのタメになったことや、NFTに挑戦してそれが受け入れられたりというストーリーがあったりとか。

そういうのも相まって価値が上がってきているのだと思うんです。
別にイラストが上手くなったから価値が上がっているとは思えないので。

もちろん、上手くなろうとはしているので、それもあると思いたいですけど、そこじゃないだろうなと。

NFTや YouTube で話題になったからといって、そもそものクオリティが高くないと価値は上がらないと思うのですがいかがでしょうか?

僕はそう信じたいのですけど、そうじゃない事実もあります。NFTの作品で、本当に素人が作ったようなドット絵でも価値がつく時代です。

別に上手い絵ではないですが、でも、様々なストーリーみたいなのが組み込まれていて、それに夢を見た人たちが価値を認めているところがあります。

イラストレーター的にはイラストの技術みたいなところが合わさってそうなってるんだっていう風に信じたい部分はあるけど、実際はそうじゃないだろうなって思ってます。

そういった変化にも対応しようと、YouTuberを始めたりしたのでしょうか?

理由は一つだけではないですが、チャレンジをしないと、おそらく埋もれていくのだろうなっていう危機感もあったと思います。

技術的なことや、イラストレーターのためになる動画を多くアップされてます。

「イラストって無力なんだよね」っていう話と、ちょっと矛盾しますが、一方ではやっぱり信じたい自分がいるんです。

なので、自分が発信するコンテンツはどうしても、イラストを大事に扱うコンテンツしか作れないんですね。
それが、さっき言った個性かもしれないです。

頭ではわかってるんですよ、イラストが一番の価値じゃないってわかってるんだけど、僕がやろうとするとそうなっちゃいます。

頭ではわかってるけど、イラストでありがとうって言ってもらえた、イラストの力を信じたいみたいな。

僕がこどもの頃に、「あきまん先生にすげー」って感じさせられたあの感覚みたいなのを再現しようとしてるんだと思うんですよ。僕のイラストを通してそういうのを表現したいっていう源泉になっていると思います。

いまは、YouTubeでの配信など、認知されていく必要が出てきたということでしょうか?

YouTubeとか、映像を通して自分をアピールするメディアみたいなのがでてきて、単純に不利ですよね?なら、それ使わないと。

イラストレーターに先駆けてそういう変化が起きているのって声優さんだと思うんですよね。

声優さん見ると、声優だけやってる人よりかは、踊れるし、歌えるし、絵も描けるし、なんでもやりますみたいな、そっちの方が全然売れてるわけじゃないですか。

だったらやっぱりイラストレーターもそうなんだと思うんです。

職人とエンターテイナーに二分していくんだと。
あの業界は結構示唆的だなぁと思ってます。

イラストレーターにもそういった流れが来るのでしょうか?

もう来てると思います。

じゃあ僕がなんで最初にこれやろうと思ったかっていうと、そういう風な未来を予想したからです。
当時は人前で喋るのも不得意でしたが、自分的には『メイドインアビス』のラストダイブ行くみたいな感じでやったんですよ。(笑)

さっきの個性の話で、それでも、やれっていう風になったんですよね。

多分そこで行かなきゃお前死ぬぞって選択を迫られた中で、僕はそういう個性を発揮した状態だと思います。

最後は生きるか死ぬかの選択になるのですね。

そこまで悩んでいない人は、追い詰められていない状況でしょうか?

少なくとも本気で実現しようとはしてないですよね。
そういう意味では、実現しなかったら終わるという感覚まで差し迫ってない。

でもそれがだめだと僕は全然思ってなくて。その状態を長々と楽しむのは、結構必要だと思ってるんです。

「これをやらなかったら絶対死ぬ」みたいな感じではない状態で、本気で楽しんでもらいたいなと。僕で言うと、あきまん先生にもらったあの感動を実現しようみたいな、源泉の部分を作るっていう作業に、最初は徹してほしいなって思いますね。

まさに学生の時にどんなことをやるべきなのかを伺おうと思ってました。

まずは源泉の部分を見つける、溜め込む。またそれができるのも学生のときなんですね。

そこが、ものさしになると思うんですよね。

例えば、自分の中で、「あのゲームすごい楽しかった!」という経験があるとします。時が経ち、自分でゲーム作ったときに、当時のテンションが上がった感覚や、ワクワクする気持ちがモノサシとなる。

クリエイターなら「あの頃の楽しかったと感じるまで作り込まなきゃ」っていう風に判断できると思うんです。
それがなかったら、どこまで作っていいのかそもそも分からない。人の言いなりになるしかないんですよ。

マンガで言うと、編集さんに「こういう風に直したら売れるよ」みたいな感じに言われて、それを信じるみたいな。
「自分って何で、この仕事してたんだっけ?」みたいな感じになり、自分を見失って行くことに。

まずは全力で楽しむっていうことが結構重要なのかなーって思います。

最初の楽しかったという感動やキモチをもう一回再現しようとする。でも美化されているので、なかなか到達しないみたいな......

めちゃめちゃ美化されてるんだと思うんですよね。

だからもう感じようがないと思うんです。
また、そういう感覚は途中で更新されていくものかもしれないので、到達しない。

だから目指せるっていうところもあります。

その源泉、ワクワクを見つけて欲しいです。

[表紙完成前のラフ案を特別に公開!!]

ラフ 1

ラフ 2

完成 !!!

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