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ファミコンって知ってる?40年の歴史と進化について
据え置き機と携帯機の両分野において、家庭用ゲーム機市場をけん引する任天堂ですが、その道筋は必ずしも平たんなものではありませんでした。
皆さんが生まれる前に発売され、世界のテレビゲームの歴史を切り開いたファミリーコンピュータから始まる任天堂ゲーム機40年の歴史と進化を振り返ってみましょう。
【目次】
①テレビゲームの歴史はここから始まった「ファミリーコンピュータ」
②店頭でゲームの書き換えが可能に「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」
③外出先でも本格ゲームが遊べた「ゲームボーイ」
④後発ながら王座を守った「スーパーファミコン」
⑤高性能を生かしきれず首位陥落「NINTENDO64」
⑥携帯機で多人数通信プレイ「ゲームボーイアドバンス」
⑦光学ディスクをついに搭載「ゲームキューブ」
⑧新たな魅力で携帯機をけん引「ニンテンドーDS」
⑨体感ゲームでファミリー層を取り込んだ「Wii」
⑩携帯機で裸眼立体視を実現「ニンテンドー3DS」
⑪テレビを占有しない据え置き機「Wii U」
⑫そして現在へ「ニンテンドーSwitch」
⑬まとめ
<①テレビゲームの真の歴史はここから始まった「ファミリーコンピュータ」>
1983年7月15日に発売。愛称はファミコン。低性能だったと評されることもありますが、先行製品と比べグラフィック、サウンドともに画期的な高性能機でした。スーパーマリオやドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーなど、現在も続く人気タイトルの数々がこのファミコンから生まれたのです。テレビゲームという新たな世界は当時の子供たちを夢中にさせました。今は当たり前の十字キーとボタンを組み合わせたコントローラーもファミコン発祥です。
<②店頭でゲームの書き換えが可能に「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」>
1986年2月21日発売。ファミコン本体に接続する周辺機器です。当時のロムカセットでは難しかった大容量と進行状況の直接保存を低コストで実現しました。FM音源チップ搭載でよりリッチなサウンドを楽しめたのも特徴です。おもちゃ屋や専門店の店頭に置かれた「ディスクライター」によってディスクの中身を別ゲームに書き換える形で販売したのも画期的でした。
<③外出先でも本格ゲームが遊べた「ゲームボーイ」>
1989年4月21日発売。カセット交換で色々なゲームを遊べるのが特徴の携帯ゲーム機です。単3電池駆動の本体は大柄で液晶画面もモノクロでしたが、当時のカラー液晶は消費電力とコストの問題を抱えていたため、後発のライバル機種との争いを優位に進めることができました。通信ケーブルで本体同士をつないで通信対戦ができたのも特徴です。テトリスや初代ポケモンなどの人気作が生まれました。
<④後発ながら王座を守った「スーパーファミコン」>
1990年11月21日発売。16ビット機への進化やPCM音源の搭載など、大幅な性能アップを果たすことに。特に回転・拡縮機能などを利用した演出は、ゲームの進化を分かりやすく実感させてくれました。初代マリオカートなどヒット作にも恵まれ、ライバルを大きく引き離します。ソニーとの共同開発によるCD-ROMドライブ搭載機も開発されましたが物別れに終わり、最強ライバルPlayStation誕生のきっかけとなったのも有名でしょう。
<⑤高性能を生かしきれず首位陥落「NINTENDO64」>
1996年6月23日発売。32ビットが主流のライバルに対し本機は64ビット機であり、3Dグラフィックの性能面でも優秀でした。しかし本体発売の延期や、ソフト開発の難易度からくるソフト充実の遅れ、CD-ROM搭載の見送りで容量やコスト面の不利を抱えたことなどが響き販売が低迷。ドラクエやファイナルファンタジーなどの看板タイトルをPlayStationに奪われ、王者の座を明け渡すことになります。しかしアナログスティックの採用や、スマブラ、どうぶつの森といった人気シリーズの誕生など、多くの足跡を残しました。
<⑥携帯機で多人数通信プレイ「ゲームボーイアドバンス」>
2001年3月21日発売。大きく高精細なカラーワイド画面を搭載し、8ビット機から32ビット機へと進化を果たします。性能向上により携帯機ながらスーファミの名作が多数移植されることに。本体同士を通信ケーブルで繋いでの最大4人の通信プレイが可能で、今では当たり前となったゲーム機を持ち寄って通信プレイを楽しむ文化を定着させました。
<⑦光学ディスクをついに搭載「ゲームキューブ」>
2001年9月14日発売。8cmとコンパクトな独自規格の光学ディスクを採用し、CAV方式による高速な読み込み速度と大容量を両立しているのが特徴。NINTENDO64の反省を生かし、ピーク性能より常に一定の性能を発揮できる、生産性を重視したゲーム機として開発されました。しかしゲーム業界全体の低迷や任天堂製以外のソフトの売り上げ不振などが重なり、振るわない結果に。
<⑧新たな魅力で携帯機をけん引「ニンテンドーDS」>
2004年12月2日発売。マンネリや複雑化、ゲームに批判的な世論の影響などでゲーム離れが進みつつある中、ゲーム人口増加を目指して開発されました。上下の2つの画面を採用し、下画面はタッチパネル液晶でタッチペン操作が可能と、新たなゲーム体験を切り開きました。結果、新ジャンルの脳トレソフトも登場し、普段ゲームを遊ばなかった層を巻き込んだ大ヒットを記録します。無線LANの搭載で気軽にワイヤレス通信プレイが楽しめるほか、派生機種のDSiではダウンロード販売にも対応しました。
<⑨体感ゲームでファミリー層を取り込んだ「Wii」>
2006年11月19日発売。専用コントローラーのWiiリモコンを採用。画面アイテムの直感的操作や、剣やラケットなどに見立てて振り回すといった、体感ゲームというべき新たなゲーム体験を実現しました。体感パーティーゲームやフィットネスソフトなどが、ファミリー層などに受け入れられ記録的な大ヒットを収めることに。一方フルHDグラフィックに未対応でマルチプラットフォーム作品の対象から外されることも多く、人気が失速することとなりました。
<⑩携帯機で裸眼立体視を実現「ニンテンドー3DS」>
2011年2月26日発売。ニンテンドーDSの特徴を引き継ぎつつ、大幅に性能をアップ。さらに長年研究してきた3D機能を満を持して搭載し、専用メガネを必要としない裸眼立体視を実現しました。本体価格が25,000円と高額だったことや、海外は据え置き機が主流だったことから、発売直後は苦戦したもののわずか半年で1万円の値下げを断行。過去の反省からサードパーティ製ソフトを重視したことも功を奏し、国内市場での大きな成功を収めました。
<⑪テレビを占有しない据え置き機「Wii U」>
2012年12月8日発売。携帯ゲーム機のようなタッチパネル付きの大画面を備えた専用コントローラーを採用。TVに繋いで2画面プレイを楽しめるほか、手元の画面のみを使用したテレビを使わないプレイも可能でした。フルHD化を果たすもそれによる開発規模の増大を読み違え初期のソフトが不足したほか、サードパーティの参入が進まず成功を収めることはできませんでした。一方で初代スプラトゥーンなどのヒットタイトルも生まれています。
<⑫そして現在へ「ニンテンドーSwitch」>
2017年3月3日発売。Wii Uのコントローラーは屋外で携帯機として利用できません。これを解消すべく、テレビにつないだドックから取り外し外に持ちだせる本体と、Wiiリモコンのようにも使える着脱式の専用コントローラーJoy-Conを組み合わせる方針に変更。Wiiから続くゲーム体験を引き継ぎつつ、据え置き機と携帯機の融合を果たしました。その後の活躍は皆さんもご存じの通りです。
<⑬まとめ>
爆発的大ヒットで社会現象ともなったファミコンから始まる任天堂の家庭用ゲーム機たちを駆け足で紹介してきました。皆さんが遊んだり見たことがあるゲーム機はあったでしょうか?
堅調だった携帯ゲーム機に比べ、据え置き機は大幅にシェアを落とすこともありましたが、ゲーム体験を大切にする任天堂の姿勢は変わらず続いており、その努力はニンテンドーSwitchで見事に花開きました。Switch後継機の噂も聞こえはじめていますが、10年後、20年後の私たちはどんなゲーム機で遊んでいるのでしょうか。